匿名というシステム

よければ読んでください。

言いたいことだけ言いやがって、と思われる方もいると思う。
人にはいろんな主義主張がある。

日常の中でふと思ったこと、考えること、不満に思うこと。
そういう事を主張していかなければ不平を理由にただの不機嫌な人間になってしまう。

この雑記を開設した理由の一つにこの考えがある。
もちろん、WEBページでどうこうなる問題じゃないのもわかってる。

情報化社会と言われている今世紀において、[誰もが情報を発信でき、欲しい情報を得ることができる]と言われて久しいが現状はそうではないと思う。

今のTVや新聞は自分たちの都合のいい情報を電波や新聞紙というなの拡声器でばらまいているに過ぎないのではないだろうか。

テレビの例とすると、自分たちの都合の悪い≠視聴率が取れない情報に関しては、徹底したフィルターを設け、その逆ならば勢いに乗ってどの局でもその報道を行う。


ネットを漂っている情報を見ていると、いかにTVの内容がフィルタされているのかがわかる。
だが、ネットの情報を見ていない人たちにとって、TVや新聞が主な情報源になる。

情報格差という言葉をWikipediaの日本語ページによると、次のように書いてある。
[情報格差(じょうほうかくさ)とは、対象間における情報量に差があること。また、その差によって「情報強者」と「情報弱者」の間に生じる格差のことを指す。]

現状のこの国で、TV・新聞を主な情報源にしている人とそれに合わせてインターネットを併用している人を比べた場合、後者が情報強者になると思われる。

日本の選挙制度では二十歳以上で選挙権が与えられるが(詳しくは指摘もあると思うが割愛)いくら年齢を重ねてもその選挙権は存在する。

そして、その高齢層には情報弱者が多い。
さらに言えば、高齢層のほうが選挙における投票率が高い。
これらの状況が何を示すか。

TVや新聞などのマスコミの(情報弱者たちの主情報源)のコントロールによって、選挙結果を左右してしまう。

たとえそこに流れている情報がフィルタされて特定の政党に有利な情報が流れていても、情報弱者たちはそのことに気がつかない。

情報弱者の1票も、情報強者の1票も同じ効力しかないのだ。

キチンとした情報源を持ち合わせている者の1票も、コントロールされた情報しか目にしない者の1票もおなじなのだ。

と、考えていたとき、恐ろしい現実を知った。

すでに気が付かないうちに実行されているかもしれないが中国のようにインターネット上の情報すらコントロールされている社会で誰が情報強者と言えるのだろうか。

もちろん、コントロールされていない情報を見ることができるものがそれに該当すると思うが、徹底した規制のもとでは正義であろうとなかろうと、コントロールする側の都合の悪い情報を発信するものは排除されるだろう。

中国の人権問題のニュースを見ていると、しばしば国家転覆罪という罪状を目にするが、これこそ中国にとって都合の悪い情報発信者を取り締まっているものではないか。

そういった状況の中、匿名というシステムは悪い面ばかり取り上げられているが、マスコミにはないフィルタされない情報発信方法なのではないだろうか。

もちろん悪い面もあるにせよ、匿名システムは情報コントロールに対しての有効な対策ではないかと思う。

この匿名システムがマスコミによってつぶされようとしていること自体、恐怖を感じる。